2019/11/28 10:05

当コラムでは、不定期でおすすめの本や映画を紹介いたします。今回のテーマは在宅医療。本と映画を併せて鑑賞することで、日本の大きな状況と、在宅医療の実際の双方をうかがい知ることができます。

  • 本『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』小堀鷗一郎・著(みすず書房)
  • 映画『人生をしまう時間(とき)』下村幸子・監督・撮影(配給:東風)

人生の最終段階における医療

本書『死を生きた人びと』は、13年の間に355人の看取りに関わった訪問診療医が、事例を通して伝える在宅医療の「現在」である。著者の小堀鷗一郎医師(1938年生まれ)は、外科医として東大病院などに40年間勤務し、定年退職後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任した。そこで初めて、「医師が患者宅を訪問することによって成り立つ在宅医療というジャンル」に出会い、80歳を超えるいまも同院に勤務する。

副題にある「訪問診療」とは、国が定める医療行為の費用体系において、医師が計画的・定期的に患者の自宅等を訪問して行う診療をいい、緊急・臨時的な対応である「往診」とは区別される。年齢にかかわらず行われるものだが、対象は通院が困難な患者に限られる。そのため、積極的な治療が望めない、衰弱の進んだ高齢者や悪性疾患の末期の患者などが、「生活上の制限を受けずに住み慣れた環境で暮らし続けたい」「過剰な医療を受けたくない」などの理由から、入院とは別の選択肢として訪問診療を選ぶケースも多い。

本書に登場する患者も後期高齢者が主で、いずれのケースでも遠くない死が予想されている(最も若いのは62歳のがん末期の患者)。小堀医師らが担当した訪問診療の患者671名の平均診療期間は4年6か月。つまり本書のテーマは、「人生の最終段階をどのように生き、どのように最期を迎えたいのか」、また、「周囲の人間は、患者本人をどのように支えたらいいのか」という問題である。

自分の生死にまつわる問題であっても、私たちは思いどおりに決められるわけではない。事例では、多くの人が在宅での療養や死を望みながら叶えられない。それはなぜか。本書は、その背景にある個人的・社会的、心理的・物理的な要因を分析する。

事例はあくまでもある特定の個人のものであるが、同時に、この国に生きる私たちに共通の条件を明らかにする。やがて死を迎える者として、また、患者を支える家族や医療者・介護者として、誰もが経験することである。それぞれの場面を読みながら、「自分ならどうするのか」ということを私たちは問われることになる。

人が死ぬということ

「病院死」と「在宅死」では何が違うのか。――訪問診療医として活動を始めて数年後、小堀医師は、担当する老衰の女性患者(101歳)を入院させることになった。当初は在宅看取りの方針であった長男が、死期が近づいて寝入ったまま目を覚まさない母親の漏らすかすかな息遣いを聞き、「可哀想で耐えられない」として急遽入院を希望、医師はその意向に従う。入院後は中心静脈栄養による栄養管理を行い、肺炎を併発したため気管切開・人工呼吸器を装着する。その結果、女性は10か月余りを集中治療室で生き続けることになる。

人生の最終段階における医療について、医療機関と在宅との大きな違いは、その目的にあるという。病院などの医療機関では、救命・根治・延命が診療の主目的となり、積極的な治療法がない場合でも検査や投薬が行われ、一定の処置が施される。一方、在宅医療では、看取りを前提とする場合、苦痛の除去が主目的となり、医療上の処置も抑制される。急変に際して救急車を要請するかどうかの判断次第で、最期の迎え方が大きく変わる可能性がある(ただ、著者によれば、その決定は家族だけでは難しく、「患者を日頃診療し、患者・患者家族の希望を熟知している医師が行う必要がある」)。

小堀医師は、「彼女(女性患者)が迎える“望ましい死”とは、家族、主治医、介護関係者に囲まれて、小柄な体を丸めて横たわっていた10か月前の死であったはずである」と考える。これをきっかけに、「患者や家族の意向に全面的に従うことが必ずしも患者本人の希望を代弁することにはならない」として、訪問診療を担当する患者や家族に自らの経験に照らした見解を伝えるようになる。人はどのように死を迎えるのか、ということである。

患者が食物や水分を口にしないのは、老衰でものを飲みこむ力がなくなったからである。食べたり飲んだりしないから死ぬのではなくて、死ぬべきときが来て食べたり飲んだりする必要がなくなったと理解すべきである。(本書13頁)

このような状態で病院に入院させて胃瘻を造設したり、点滴によって水分とか栄養を補給すると、患者の限界にきた心臓や肺に負担がかかり、患者自身もつらい思いをするし、周囲の目にはむくみなどの徴候が明らかになる。(本書14頁)

 映画『人生をしまう時間(とき)』  ©NHK

死を直視する

1951年には自宅で最期を迎える人が大部分で、病院・診療所における死亡は1割程度。それが今日では8割程度にまで増え、在宅死と病院死の割合は逆転している。私たちは自宅で病人を看取る習慣と記憶を失い、「死は自らと無縁の遠い存在だと認識」するようになったと著者は指摘する。

そのため、たとえ告知を受けていても、患者本人は自らの死期を悟ることができず、家族も身近な者の死を受け入れることができない。このような場合、私たちは「想定外のさまざまな最期を突き付けられることになる」と著者は警告する。では、私たちはどうすればよいのか。

〔高齢者の急激な増加、それに伴う要介護者、死亡者の増加に対して必要なことは〕社会、とりわけ直接の当事者である医師・患者・患者家族が「老いる」ことを理解し、「死ぬ」ことを受け入れ、自分にとって、家族にとって、そして社会にとって「望ましい死」とは何かに思いを致すことである。それは壮大なパラダイムシフトとも言える。(本書20頁)

在宅医療医師の大きな役割の一つは、「自宅で息を引き取る」という選択肢が最後まで患者に残されていることを「告知」することではないだろうか。そして患者側にとっての必須事項は「死を直視すること」である。(本書144頁)

人は老い、病み、死ぬ運命にある。それを認め、受け入れること。しかし、私たちは、自分だけの力で簡単に死への覚悟が持てるようになるわけではない。時間をかけて訪問診療医が伴走し、道案内をすることで、私たち患者や家族は初めて死と向かい合うことができるようになる。小堀医師の言葉は、その励まし(と叱咤)のように聞こえる。

望ましい死とは?

だが一方で、小堀医師には懸念がある。在宅医療に世間の注目が集まるあまり、「入院死は敗北であり、在宅死こそ正しい」という「在宅神話」が生まれ、そこに囚われてしまうおそれがあるということである。しかし、私たちの人生は複雑で、「人間らしい死」の尺度も個別的だ。

入院死か在宅死かの選択は、その患者とその家族にとって望ましいかどうかの総合判断で決定されるべきである。死は「普遍死」という言葉が介入する余地のない世界である。(本書155頁)

誰にとっても当てはまる理想の死は存在しない。どこでどのように亡くなろうが、最終的には、死に関わる個々の人間、つまり、患者本人と、家族を含む周囲の人々の納得感こそが重要なのだというメッセージである。

死を受け入れるための「時間」が記録された映画

映画『人生をしまう時間(とき)』は、本書の著者である小堀鷗一郎医師と、堀ノ内病院の同僚である堀越洋一医師による訪問診療の様子を丹念に追ったドキュメンタリーである(写真上・下)。初めにテレビ番組として放送されて大きな反響を呼び(NHK BS1スペシャル「在宅死 “死に際の医療”200日の記録」2018年6月放送)、その後、映画として映像の追加や再編集が行われ、現在、全国で公開されている。

著書『死を生きた人びと』では、在宅医療を受ける個々の患者の事例を通して、この国に生きる私たちの姿や、私たちの社会の状況を見て取ることができた。一方、同じテーマのこの映画で強く印象に刻まれるのは、患者とその家族、周囲の人々の、あくまでも具体的な姿である。

この映画には、病や老いから回復して訪問診療を必要としなくなる患者は登場しない(老いは、もともと後戻りできない過程である)。療養を続けながら徐々に衰弱へと向かう人、症状の悪化から施設に移る人、そして、自宅や病院で亡くなる人。誰もが遠くない死を予感し、やがては正面から向き合っていく姿が映し出だされる。そして迎える現実の死。

 

小堀医師(左)と患者の千加三さん  ©NHK

本書で指摘されていることだが、現代に生きる私たちには死が一種のタブーになっている。老人らしく老いることが許されず、死は直接的に眼の触れるところから遠ざけられる。これは患者や家族に限られたことではなく、医療者・介護者においても同様で、日本の社会システム自体がこのようなタブーに従って形づくられているかのようである。だが、私たちは本当にこんなやり方を望んでいるのか。

映画は、同じ患者やその家族の姿を繰り返し映し出すことで、時間による変化を描き出す。何か決定的な契機が描かれるわけではない。しかし、在宅で患者と家族が徐々に進む衰えを共有しながら(困難とともに)、ゆっくりと確実に死を受け入れていく。その姿が印象的だ。死を迎えた後の周囲の人々の表情には、悲しみこそあれ嫌悪や恐怖は見られず、ある種のすがすがしささえ見て取れる。それを目にする私たちは、すでに彼らと一定の時間を共有しており、不思議な納得感を覚える。

この映画が見せてくれるのは、この時間の流れである。人が受け入れがたいものを受け入れるには時間がかかる。しかし、時間をかけてしっかりと向き合うことで、受け入れ可能にもなり得るということが(もちろん、それが難しい場合があるということも)わかる。

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『死を生きた人びと 訪問診療医と355人の患者』著者:小堀鷗一郎/出版社:みすず書房/発行:2018年5月/価格:本体2,400円+税 ISBN978-4-622-08690-1

『人生をしまう時間(とき)』下村幸子・監督・撮影/制作:NHKエンタープライズ/製作:NHK/配給:東風/2019年9月より公開。全国公開中)公式ウェブサイト:https://jinsei-toki.jp/